雨に咲く花に

プリティーリズムとか、その他について書く奴です。

9年会ってない幼馴染がVTuberになっていた

※色々と特定を避けるためにダミー情報を交えて書いていきます。

 

===

 

おままごとを教えてくれたひと、ちーちゃん

 

公園デビュー、という言葉があります。

 

赤ちゃんから幼児になった子供を、初めて公園に連れていく行為。

 

公園デビューについて書きたい訳じゃないので説明はそれだけです。

 

でね。

 

田舎って公園とかないんですよ。

ありますけど人は居ません。

 

デビューしても見つけられるのは友達ではなく犬の小便がかかったBB弾くらいです。

 

僕と、そしてちーちゃんはそんな田舎に育ちました。

 

まぁ僕は一人で公園に行ってBB弾集めてましたけどね。

その日の内に廃棄を命じられました。

 

そんな僕は、民家を3,4軒挟んだところ(距離にして500m程度)に住むちーちゃんと、

知らん内に友達になっていました。

 

ちーちゃんは一歳年上だったので、友達というかお姉ちゃん感覚だったかな。

 

知らん内に友達になっていたので、初めて遊んだ時に何をしたかは覚えていません。

 

でも、『おままごと』という遊びを教えてくれたのは、ちーちゃんでした。

 

 

皆さん覚えてらっしゃるかわかんないんですけど、

 

マジで小さいときって性別の概念があんまりないんですよね。

 

ちょっと大きくなってくると異常なまでに男女の違いにこだわったりするんですけど。

 

 

何の話かって?

おままごとの配役についての前振りです。

 

僕は男の子、ちーちゃんは女の子なわけなんですけど、

おままごとの配役は実に自由でした。

 

犬と猫

子供とおばあちゃん

カブトムシとクワガタムシ

先生と生徒

ぬいぐるみと飼い主

 

えとせとら。

 

 

……アレ?

 

僕がお父さん、ちーちゃんがお母さんという配役、実はしたことないかもしれない。

 

 

それくらい自由でした。

 

楽しかったですね。楽しかったし難しかった。

 

おままごとって所謂ロールプレイな訳じゃないですか。

 

お父さんやお母さん、犬と猫(中略)といった役割になりきって、

その役割に合ったおしゃべりや行動をする。

 

子供のイメージプレイですよ。

 

逆に言えばイメプレが 大人のおままごと とも言えます。

 

 

そのイメージプレイが、ちーちゃんは凄く上手かった。

 

例えばちーちゃんがおばあちゃん役を演じているとき、

 

そこには、『ちーちゃん(本人)』でも『ちーちゃんのおばあちゃん(ロールモデル)』でもなく、

 

『ちーちゃんという、おばあちゃん』 が本当に居たんですよ。

 

役を楽しんで、なりきって、想像の世界を広げていった。

現実ではない、現実以上に現実的な現実が、そこにあった。

 

当時の僕には正直わからなかったんですけど、

 

彼女にはロールプレイの才能があったのだと思います。

 

 

で、ここで突飛な持論なんですけど、

 

『ロールプレイ』 『演技』 とは別物だと思っています。

 

 

僕は 演技、演劇の経験 ならほんの少しだけあるんですけど、

 

そして自信もそれなりにあるんですけど、

 

ロールプレイというものは、本当にできない。

 

『おばあちゃんっぽい喋り方』、できます。

『おばあちゃんとしての振舞い』、できます。

『おばあちゃん"役"を演じる』ことなら、できます。

 

でも、『おばあちゃんを演じる』ことはできない。

 

わかりやすく言えば、せめて台詞か詳細な物語設定がないとできない、という意味です。

 

しかし『ではロールプレイが演技の上位互換か』と問われれば、そうではない、と答えます。

 

感じろ。

 

 

演技が上手い人は、役者さんや声優さんになります。

或いはそれに準じた趣味を楽しみます。

 

ロールプレイが上手い人は、そうではありません。

 

どんなに上手くても、演技が出来なければ役者さんや声優さんにはなれません。

 

ではロールプレイが上手い人は何になるか。

 

 

キャラクターになる んですよ

 

 

――さて、この辺で

 

『年上の幼馴染が居たという自慢話』

 

がなぜタイトルに繋がるのか、解る人には解ると思います。

 

 

VTuberは、キャラクターのロールプレイ

 

なのだと――私はあの日、確信したんです。

 

 

ちーちゃんという、VTuber

 

私がそのVTuberを見つけたのは、本当に偶然でした。

作業用に、普段聞かないVTuberの配信アーカイブでも聞こうとか、そんな感じ。

 

可愛い系なのに落ち着く声だなー、とか考えながら聞いていました。

 

そしてあるとき、話題が  『おままごと』 に移りました。

 

いやまぁ、驚きました

 

何が驚いたって、

 

『ちーちゃんという、おばあちゃん』 が現れたこと。

 

世界中で、僕と、ほんの少しの"ちいきのおともだち"だけが知っている、あの。

 

変わっていなかった。

 

 

初手で雪の宿をお勧めされた。

 

 

そしてそこから全てを理解するまでに掛かった時間を、僕は覚えています。

 

6分弱です。

 

1.8カップ麺です。

(再生時間で確認しました)

 

それだけの時間を掛けて、僕は理解しました。

 

今喋っているのは、 『ちーちゃんというVTuber』 なのだと。

 

 

 

さようなら、ちーちゃん

 

ちーちゃんとの縁が切れたのは、ちーちゃんが中学に入学した日です。

 

その前からもあまり話さなくなっていましたが、登校班が一緒だったので、一応縁がありました。

 

通う場所が違ってしまったあの日に、僕とちーちゃんは『家と年齢が近い』だけの関係になった。

関係、と言っていいのかもわからないくらいに離れてしまった。

 

そしてあの日、僕がちーちゃんというVTuberに出会った日。

 

僕はまた、ちーちゃんとの別れを味わいました。

 

出会いこそが、別れだった。

 

あの日のちーちゃんは、もう居ない。

 

……大人になったちーちゃんは、何処かに居るのでしょうけれど。

ありきたりな切っ掛けで、『ちーちゃんという人』とは既に別れていましたから。

 

そして僕は、思い出の中のちーちゃんすら失った。

 

何故か。

 

思い出の中にしか居なかったちーちゃんが、

『ちーちゃんというVTuber』として、目の前に現れてしまったから。

 

 

おばあちゃんだったちーちゃんは今、

 

VTuberとしてのロールプレイを、全力で楽しんでいる。

 

それはもう、僕個人との別れでしかない。

『思い出の中だけ』には、もう居ないから。

 

――これは、酷く感傷的で投げやりで、何よりも乱暴で身勝手な理屈です。

 

僕がこの記事を書き記す理由。

それは何よりも、『ちーちゃんの居なくなった思い出』すらも消してしまうためです。

 

ちーちゃんというロールプレイヤーがインターネットの世界、ヴァーチャルの世界に羽ばたいていったのならば。

 

僕の思い出もまた、インターネットの世界に羽ばたいていけばいいだろうと。

 

 

こんな思惑と感情を、きっと誰も理解できないことでしょう。

 

でも僕は、それでいい。

記事を公開した瞬間に、思い出はもう無くなってしまうから。

 

これ以上何を書いてもただ感傷的なだけです。

最後に、本当に最後に――僕はちーちゃんにお別れを告げましょう。

 

 

さようなら、『ちーちゃん』

 

――そして初めまして、『ちーちゃんというVTuber』

 

 

 

 

……みたいなことが起きればいいのに

 

みたいなことが起きればいいのに。

 

起きないんですよね。

起きても書けない。

そして起きない。

 

目の前で起こっている現実は、

 

こぼした氷が 溶けて畳に 染みていく

 

とかそんなもんです。

 

あと空き缶そろそろ捨てなきゃいけない。

 

ロールプレイが苦手だから、僕はVTuberになれない。

 

リアル幼馴染ちーちゃんは、どうやら最近仕事を辞めたらしい。

 

 

そんな、21歳。

 

 

僕は、すべてのVTuberを、応援しています。

VTuber沼、抜けられそうにない。

セックスDVは笑いごとじゃねぇなぁ

 タイトルで引いちゃう人に程読んでほしい記事を今から書きます。

 歩くさんです。

 

 『セックスDV』なる言葉を使ってみたんですがこれが一般的か正式かなど知りません。 僕が適当に思いついた言葉です。

 

 なので一応意味や定義を軽く説明したいと思います。

 僕が考える定義としては

『セックスに関する、一方にとって不利益な振る舞い、行動、言動など』です。

 

 具体的にどんなものかと言えば

『不適切な場所や時間、タイミングでセックスを強要される』

『一般的でないプレイを強要される』

『避妊に非協力的』

『他人などに自分たちのセックスについて勝手に話される』

『セックスしているときとそれ以外、或いは前後で態度が明確に違う』等々……

 

 一つ目の『不適切な場所や時間、タイミングでセックスを強要される』についてですが、場所や時間、或いはタイミングが不適切であると一方が判断しているにも関わらず、もう一方がセックス、或いは広い意味での性行為に付き合うことを強要してくる、或いは執拗に求めてくることを指しています。

 例えば『ムラムラしてきたからあそこのトイレでヤろうよ』と言われたりとか、翌朝早いのに、夜遅くに『これからホテルに入ろう』と言われたり。生理のときにできるでしょと言われたり。

 二つ目の『一般的でないプレイを強要される』も問題の質としては似ていますかね。

 好きでもないSMに付き合わされたり。風俗でやってもらえよというようなプレイをさせられたり。

 

 別にそういうことを言うのは究極的には自由なんですけどね。お互いにそういうのが好きなカップルも居るでしょう。

 ただやはり問題なのは、言われた側、求められた側がそういうセックスを良しとしているのか、受け入れたとしたら本当に納得して受け入れているのか、というところになります。

 セクハラの問題と同じで、性的なことというのは特に個人差が大きいもので、受け取り手がどう思うかに左右されてしまうのが、また拗らせる原因なんですよね。

 

 じゃあそういった問題について、(恐らくは図らずも)当事者になってしまった発信側と受信側とがそれぞれどういうことをすべきか、ということを示さない限りは何の意味もない記事になるので、難しくて一筋縄ではいかないと分かりながらも、自分なりの考えを述べてみたいと思います。

 

 まずは受信側。これはもう、大原則として『嫌なことを嫌と伝える』ことが出来ればそこがスタート、と言った感じです。

 ただ当然、それができない人も居れば、伝えたところで平気な顔で続ける発信側も居ますので、これだけが解決策とは思いません。

 実際的な解決については、様々なケースについて様々な人の体験談が記されているようなサイトがあったり、専用の書籍があったり、相談できる機関があったりしますので、そういうところに『惜しげなく』力を借りていくことが何よりも大事でしょう。

 

 私として書けることと言えば、あとは『嫌なことを嫌だと認識する』ことも重要なスタートの一つだと思っています。

 飽くまでも一例で参考にもならないことですが、恋人の嫌な面について、『でも他に良いところもあるし……』などの言葉で隠していると、中々自分の疲弊を取り除くことができないままでいます。

 そこを『あそこは嫌な面だ』と認識すると、それまで雲隠れしていたいろいろなことが輪郭を持ち始め、嫌なところと良いところ、別れるメリットと続けるメリットなどがはっきりしてくることがあります。

 それから具体的なことを考えていければいいなぁ、みたいな。

 

 

 それと、発信側ですね。

 こちら側の方たち、意識していてくれれば幸いだけど基本的には自分がそうだと気付いていません。気付いてたらしねぇよ、という感じですよね。

 まぁ気づいてても止められない人は必ずいて、その人たちが必ず特別かというとそうでもないのですが。

 そんな理由もありまして、私がこれから書くことというのは、発信側の人に向けて、というよりも『いつか発信側になる可能性がある人』つまり全員に向けて書いているのだとご理解ください。

 全員、という言葉に例外はありません。子供から老人まで、男も女も、性指向問わず、恋人の有無や将来的な可能性の有無についても。一切問わずに全世界何十何億何千何百何十何万何千何百何十何人の全ての人達です。

 その全員、つまり貴方という人間に理解して欲しいのは、

『貴方は近いうちに発信者・加害者になる可能性が高い』

『貴方が既に発信者・加害者である可能性が高い』

 ということです。

 当事者意識を持て、なんてこと様々な場面で言われてきた人たちは少なくないでしょう。でももう一度、ここで言わせてもらいます。聞き流さずにどうか理解してください。これは、重要なことなのです。

 『当事者意識を持ってください』

 こういった問題を解決するためには、それが何よりなのです。

 一人でも多く、目の前の貴方というたった一人でも。そういった問題の当事者である可能性に気付いてくれれば、問題にも気付けます。解決にも近づけます。誰かの幸福が、大きく近づくのです。

 

 貴方が今やっていること、もしそれを、誰か別の人がやっていたらどう思いますか? 貴方の憧れのヒーローがやっていたら? 『ほかの人がやっているという話を聞いた』なんていうのは、全く何の理由付けにもなりません。貴方の良心は、貴方を本当に許していますか?

 

 貴方がやっていることは、もしかしたら、随分な間違いで、随分愚かなことかもしれません。誰にとっても、その可能性は捨てられません。

 自分とは縁がないと思っては、いけません。

 

 貴方は、当事者です。

 

 

 ――今回の記事で挙げたセックスDVの例はあくまでも一部です。実際には、もっと多岐に渡る『セックスDVと呼べるもの』があるはずです。

 皆さんにはぜひ『これはセックスDVだ』と気付けるような脳を持っていただきたいと思います。そしてそれが、良い意味で常識となっていって欲しいと願います。

 

 三つ目以降に挙げた

 

『避妊に非協力的』

『他人などに自分たちのセックスについて勝手に話される』

『セックスしているときとそれ以外、或いは前後で態度が明確に違う』等々……

 

 の部分についてはまた後日書いていきたいと思います。 

 そのときはぜひ、よろしくお願いします。

タオルからいい匂いがする

※今日の記事はマジで読まなくていいやつです。

 

 僕はこの間、一番くじを引きました。

 コンビニとかで引ける、キャラグッズとかを貰えるやつですね。

 800円程度のを3回引きました。その内タオルが2枚でした。

 

 いやぶっちゃけね。好きなものだからとはいえ、いやだからこそ、1枚800円のタオルって客観的に見て高いですよね。

 えぇ。僕もそう思ってました。

 

 使うまではな!!!!!!

 

 

 さて、手に入れてから2日でしょうか。水通しもせず、僕はそのタオルを使いました。

 言い忘れていましたが、僕が手に入れたタオルは、『アイドルマスターシンデレラガールズ』というコンテンツに登場する、輿水幸子(超絶可愛い)と高垣楓さんです。

 

 その内、幸子の方を先に使ったんですけどね。

 

 ふと思い立って、嗅いだらですね。

 

 いい匂いがするんですよ!!!!!!!

 

 ほんとに。

 しかも単なる洗剤の香りじゃなくて、マジ女の子の香りっていうかそういうタイプのアレなアレ。

 いい匂いです。

 

 僕は思いました。

 

『これが輿水幸子の香りか』

 

 そして更に思いました。

 

『……イケる』

 

――――――

 

 本日、もう1枚の高垣楓さんのタオルを開封しました。

 

 

感想:『香りが……違う!?』

 

 シンデレラガールズに詳しくない方に説明しておくとですね、

 輿水幸子は身長142cmで14歳な超絶可愛い中学生です。

 高垣楓さんは25歳でクールでちょっとお茶目な元モデルさんです。

 

 そりゃ、香りも違いますよ。

 

 例えるなら、輿水幸子のタオルからした香りが『ちょっと暑くなってきた時期、テストに向け、彼女の部屋で隣で一緒に勉強していて、クーラーが効いて汗も引いてきた頃、普段見ない露出の高い服装をした彼女にドギマギしているとき、彼女の首筋辺りから風に乗ってやってきた香り』だとすると、高垣楓さんの香りは『頼まれて、彼女の車から彼女のカーディガンを取りにいくことになり、借りたキーで彼女の車のドアを開けると、自分の車とは全然違う、爽やかな、フォレストグリーンの芳香剤が薫ってきて、なんとなくドキドキした後、目的のカーディガンを回収して、渡しに行く前に、気の迷いからついそのカーディガンの匂いを嗅いでみると、先程の芳香剤の香りの奥に、もう一つ、染みわたるように鼻腔に広がる香り』でした。

 

 同じような商品なのに、香りが違うなんて、不思議だなぁ。

 

 すごく幸せな気分になった。ありがとう。

【歌詞考察】どしゃぶりHAPPY

 久しぶりのプリズム記事である。

 今日取り上げるのは、主人公である彩瀬なる福原あん涼野いとによるユニット『ハッピーレイン』の曲、『どしゃぶりHAPPY!』である。

 

 まず、歌詞の考察の前に書いておきたいこと、知っておいて欲しいことが幾つかある。

 一つに、この歌の歌詞が、作中において『ラブレター』だとか『すっごくハピなる!』だとか、あと『ヌルい』だとか散々に言われている、ということ。

 

 二つに、アニメでこの歌が披露された後、赤い糸、夏の恋とんでもない展開が待っているということ。許していないからな。

 

 そして最後に。

 この歌のコンセプトが、『No rain, No rainbow』というハワイのことわざであるらしいこと。

 このことわざの意味は、直訳で『雨が降らなければ、虹もかからない』――つまり『大変なことがあっても、その後にしか起こらない良い事だってある』的なまぁ、そういう意味である。

 

 さてまぁそんなわけで、歌詞行きましょう。

 

――――――――

(括弧内が意訳、解釈)

 

どしゃぶりHA! HA! PPY!

どんとおいで(どんな困難でも大丈夫)

夢を洗い上げ

 

日記

 微分積分をしています、最近は。

 

 倒置法、というのはそもそも『主張したい部分がついつい先に出ちゃった』みたいな気持ちを表現するものなので、多分僕は最近やってたことが『微分積分』だということを主張したかったのでしょう。

 

 対数微分法とフーリエ変換

 めっちゃ頭良い。

 

 

 このブログ、そもそもプリズムの宣伝のために始めたものだけど最近プリパラを一気に見てプリズムばりに考察すべき点、宣伝すべき魅力があったので、近い内に書きたいと思います。

ただの日記 5/2

 5/2の日記を5/3に投稿するでござる。

 本当にただの日記。

 

 今日はキャンドルを作りました。

 ゼリーキャンドルとかいう、なんかキャンドゥが売ってる奴です。

 オーナメント(要するに飾り)としてお洒落なものが沢山売られていてインスピレーションが刺激されたので、金曜日辺りにも一度作ったのですが。

 そのときはロウを溶かす温度調整に失敗して思うようなものを作れなかったので、今回のはリベンジということになります。

 

 そもそもゼリーキャンドルが何か、という話を軽くしておきましょう。

 チューブに入ったゲル状のロウを湯せんなど(融点90℃くらい)で溶かし、オーナメントで飾ったり芯になる部分をセットしたグラス等の中に注ぎ込んで、固まるまで待って終り、というシンプルなお手軽ハンドメイドグッズです。

 割と綺麗、可愛い。

 

 さて、そんなキャンドル作りにあたって、僕がまず最初にしたことは

 

『紙焼き』

 

 です。

 紙焼きってなんだよ、って読んで字の如く紙を焼く行為です。

 ただここで誤解してはいけないのは、僕がやったのは決して『紙燃やし』ではないということ。

 紙は、当たり前だけれど燃やせば無くなる(灰になるけど、まぁ紙じゃなくなったのだからなくなったのと同じ)。

 しかし、焼くだけならば形は残るのだ。

 言うなれば『人体に放火すれば重大事案だが、日焼けサロンは合法である』そういう話。

 

 ここで活躍したのが前回作った『失敗した』方のキャンドル。

 これを火元として、僕はコピー用紙をちぎったり箸でつまんだりしてろうそくの火で加熱し、焦げ付かせたりして遊んでました。

 

 何故そんなことをしたのかと言えば、僕は『古いっぽい紙』を作りたかったのです。

 更にその理由を語るためには、僕がオーナメントとして買ったものの一つについて説明する必要があるでしょう。

 

 前回作ったキャンドルで使ったオーナメントは『鍵』『時計』『錨』など(どれもアンティーク調)というまぁ若干中二ズムを感じなくはないそれで、つまり僕は中二病ということなんですけども、じゃあ今回何を買ったかと言えば、なんと『メッセージボトル』です。

 うーむ、中二病とは言え邪気眼タイプとはちょっと違う感じなのが厄介。

 

 でまぁそんな訳で、そのメッセージボトルに古っぽい紙を入れてなんかそういう雰囲気を作ったらお洒落なんじゃないか、という安易な発想から、僕は『古っぽい紙』の製作・検討に着手した訳です。

 

 

 そして焼いた。

 

 

 これが中々難しい作業でして、端っこのところが余りに綺麗すぎたり、ちぎったところがなんというか無愛想にリアルだったりしたのが気に入らず、そこに火をあてようとすると、そこはそれ、素材が紙なだけあって、簡単に発火してしまう。

 普段はそうならないよう火から僅かに離した場所であぶるように焼いている(焦げ付かせている)のだけど、端っこ辺りともなると(毛羽立ちのせいだろうか)何故か着火しやすい。

 

 着火をすれば、延焼もする。

 

 何回火の玉が僕の部屋に転がったことか。

(※後にぬれタオルを用意してなんとかしました)

 

 

 まぁそんなこんなの苦労を越えて、僕は紙を焼いて古っぽい感じを出す技術の確立に成功しました。

 

 ところがその後、大体23時くらいのことです。

 僕は必要がなくなった後でも技術の研鑽のためにとよりよい古っぽい紙製造法の研究を続けており、その中で『液体を塗ってから炙る』という手法が優れているのではないかという知見を得始めていました。

 

 ――いやまぁ面倒だからオチから言うと、

 

『コーヒー塗って乾かせばそれっぽくなる』

 

 という知見を得てしまった、つまりそもそも紙を焼く技術なんて必要なかったことに気付いてしまった、ワケなんですけども。

 

 みんなも火の扱いには気を付けて、

  火を使う必要がなければ、

   使わないようにしようね。